サン・スマイル 想い

食のいま

はじめに

いまから読みすすめることは、今の社会生活のしがらみの中の通念では、納得いただけないものと思います。自分の社会的な立場は、ひとまず置いて、客観的に見ていっていただけると必ず、納得いただけるものと思います。正論を言うと嫌われる今の世の中、でもその中に真髄があるのではないでしょうか。身近なものに感じてみてください。
心で感じ取れるようになるべく数字は出さないようにしました。

起文

サン・スマイルの活動、自然食普及活動に関わる一切において広義(総論)では大自然的、狭義では社会的、人間環境的な意義、背景をまとめます。

1. 体に対する食の影響 (安全面)
食べ物が私たちの口に入るまでに、まず栽培過程で土壌燻蒸、種子消毒、発芽抑制剤、除草剤、展着剤、殺鼠剤、成長促進剤、病気の農薬、虫の農薬を多種類、そして出来上がった農作物をさらに、化学合成保存料、殺菌剤、着色、調味料などをまぶされて、やっと私たちの口に入る事が出来ます。輸入農産物については、ポストハーベスト農薬、遺伝子組み替え農産物の問題。肉類に対しては抗生物質、成長ホルモン、女性ホルモンの投与、飼料の問題などもっと化学物質の問題にしても多岐にわたります。 これらは安全なのでしょうか。
私達の体を作るのは食です。それしかないのです。口に入れたものからしか体は作られなのです。ではその食が安全なものでなかったら、体はどうなっていくのでしょうか。 この問題を少し考えてみましょう。

1) 農薬
単位面積あたりの使用量で世界最大を誇る我が国日本では1hあたり18kgの農薬を使用していて、アメリカでの米作と比較すると10倍にも及びます。

直接的に人体において農薬に関する一番の問題は残留農薬でしょう。昭和40年から50年代にかけて、急性毒性を示す有機塩素系の農薬は使用禁止となりましたが、現在使われている農薬は毒性が少なくなった代わりに使用回数は増え、農家の金銭的な負担も増え、農家の農薬による影響と考えられる病気には昭和40年代の急性疾患から現在の慢性疾患へと移行しています。農薬は通常原液を数百〜数千倍に薄めて使われていますが、その原液を絶えず使用している農家は消費者よりも多くの影響を受けているのは否めません。

「農薬」と言う言葉は実は略語です。ちゃんと言うと「農毒薬」であり、熊本県立菊池養生園の竹熊先生曰く「虫はコロっと、人はじわ〜〜っと」ということがありますが、まさに気が付いたときは凡ゆる意味で遅いのかもしれません。しかも残留農薬の被害は普通15年から数十年蓄積し、体に影響が出始めると言われ、その因果関係は動物実験でも立証できる期間ではありません。ここでいえることは、農薬を飲んだら人間でも死んでしまうという、毒物、劇物であるということです。

また近年問題になり始めましたが、農薬は環境ホルモンの疑いをもたれているものが半数を超えます。この問題が浮き上がった時すぐにこの問題は先送りさました。そこで見えてくるのは、官庁天下りがトップを占める農協とその利潤を生む農薬販売、農薬会社との関係である。
ダイオキシンで有名な環境ホルモンは
pg(ピコグラム     1,000,000,000,000分の1g、1兆分の1g)、
fg(フェクトグラム、1,000,000,000,000,000分の1g、1,000兆分の1g)
単位で作用するといわれ、ここで残留農薬がまた問題となります。

農家は出荷用と自家用の野菜、米を違う田畑で特別に分けて作っているのが普通です。農家自身農薬の有害性は、一番身近な被害者として身にしみて分かっています。形が悪くても安全なものを農家は望んで食べ、スーパーや一般市場など農薬を使用しない不安定な、不均一な品質(形、大きさ)、例えば曲がったキュウリ、大きさのばらばらなジャガイモなどなものは受け入れてくれない。だから農薬を使う、というのが現状です。

私たちが農薬などを使用した農産物を買うと言う事はそれだけその農家を応援している事につながります。突き詰めれば、農薬使用に賛成しています!というアピールになるとも言えるのです。消費者が望むから作る。今の社会構造は一つそこにもあるようで、逆もいえる。高齢化で自然農法、有機農業は出来ない!農薬を使わない農業は不可能だ!というのです。しかし特に地方の農村部では実際にやっている農家はたくさんにいます。その人達を見ようとしない、受け付けない。この体質は改善されるべきです。やってもいないのに見地が狭く、努力を惜しんでいる。また都市近郊農業者では農薬を使わなくても十分儲かる!と言う事も言われる。これは買う消費者がいるからである。また社会的に食べ物をつくる農業から、儲ける農業への移行という背景もある。
これについて、こういうことがある。午前中のハウスで農薬を蒔き、自分の子供たちに近づかないよう言う。その午後にはたくさんの人が訪れ、イチゴがりを楽しむ。見てください、イチゴがり、ぶどう狩りなど虫が居ないではありませんか、草も生えていないではありませんか。自然の姿を知っていれば、すぐにそれに気がつくはずですが、気がつく人は少ないのです。こういう現場を見ると、悲しくなります。なぜなら総て経済、お金のためだから。これが一つ昔の農家と違う所です。しかし、責める事は出来ません。経済社会を形成してきたのは消費者である私達を含めた一人一人なのですから。

農薬の生物への影響は農薬使用後直後の畑、水田を見てみると、よくわかります。そこには多くの生物の死骸、瀕死の蝶、くも、ばった、かえる、たくさんいます。空中散布の際には、外出は禁止、洗濯物も干しません。農薬の害を農家はみんな分っているのです。

農薬の使用量は年々増加しています。土の力は年々弱くなっているからです。エネルギー計算で投入カロリーと収益カロリーを比較すると、大きなマイナスになります。これは年々増加の一途で、昭和40年代前半ではまだプラスでした。農薬使用は非永続的です。
今の農業は100年後も続いているでしょうか、答えは否としか言い様がありません。現場の人間が一番よく知っています。
でも、今の社会構造では止められない・・。
国や企業を待ってはいられない。
私達消費者が求め、小さなことでも確実に活動することから始まります。

現代科学は未開地の部分が多すぎてしかも見地が狭すぎます(狭く深く)。医学でホリスティック(全体)医学が叫ばれる中、農業もホリスティックにいかなくては今後生き残れないでしょう。農学と医学は本当によく似ています。

以上私たちが農薬に反対する理由は一言で言うと簡単で「自然でない」からです。自然でないから人に悪影響を及ぼし、環境にも悪影響する、ということです。

この対策として、私達は第一に農家を「食の母」=「命の素」を生産する立場として認識して、第二に、出来た食に感謝すると言う事。第三に農家との交流を大切にし信頼を深め、第四にサン・スマイルの仕事になりますが、今、望む人の分は確実に(多くの意味で)安全な農産物を提供すると言う事です。
2) 化学肥料
化学肥料のはじまりは、ナチスドイツが空気中の窒素を固定することに成功して以来のものです。農産物増産にとってはどんなに福音を与えたかは計り知れません。
化学肥料を述べるとき、リービッヒの考え方が根本になっています。窒素、リン酸、カリの三大元素のどれも欠くことが出来ない。どれかが欠ければその水準までの収量にしかならないという仮説です。(他微量要素も)
化学肥料の功罪は、戦争時の量産にあっては、福音をもたらせたことは言うまでもありませんが、植物体においては自力での栄養吸収能力を減退させ、ひいては植物体自体の弱体化による病気、虫などの発生そして栄養価の低価などを引き起こし、土壌中の微生物層の単一化そして、農薬などに頼る現代の農の確立へと向かっていったものと思います。
そして、食味の低下も子どもの野菜嫌いが進んでいった一つの大きな要因です。
栄養価の低下と食味の低下には関係があるように思えます。栄養価は栄養士のバイブル本、食品成分表の改訂に伴って野菜の栄養価が下がっていることでも、一つの裏づけがあります。
3) 現代の有機農業とサン・スマイルの自然農法
現在の有機農業ではリービッヒの考え方が大きくあり、化学肥料よりもむしろ多い窒素成分を田畑に施す傾向があります。窒素成分の多投は、植物体における不消化窒素を喚起し人体でのニトロソアミン(超発がん性物質)の発生とつながり、この点だけで言うと、化学肥料を使用したほうが安全ともいえます。
ニトロソアミンはLD50=0.000059g(体重一キロ当たり左記の量を摂取すると50%の確立で致死にいたるというものです)です!
そして、施す動物性堆肥のもともとの汚染の問題、そして植物性肥料を海外特には中国から輸入するという海外からのエネルギー搾取そして環境に負荷をかける方法では本当の有機農業とはいえないと思います。
4) 食品添加物
食品添加物の問題は、今になっても過去と変わらずその多用は続いています。最近保存料無添加などの表示を見受けますが着色料、発色剤などの多用から保存的役割を担わせているものもあります。
食材が粗悪であっても(まずくても)、古くても、添加物を使えば関係ないといっても過言ではありません。安全性を議論することも大切ですが、添加物の多様性から日本の食文化の荒廃を論じ、地域の食文化の復興が健康増進に大いに役立つと考えます。
5)輸入農産物
こちらの旧態依然とした体質は変わっていません。一番問題視されるのはポストハーベスト農薬でしょう。(収穫の後に野菜、果物などに直接散布する農薬のこと)
有名なものにTBZ,OPPなどがります。有機リン系の農薬で、主にアメリカ産の農産物輸入時に使用されているようです。これらの農薬は・・・農薬といいましたが日本の法律では食品添加物扱いですが・・・アメリカ国内、日本国内でも安全性の問題から使用が禁止されています。でも・・・アメリカから日本に輸入される時だけ認められているのです!牛肉、オレンジの輸入自由化などの問題の時もそうですが、結局は日本がアメリカに自動車などを低い関税で輸出させてもらうかわりに、食、農が打撃をうけている構図があり、その一連としてのものです。
経済が大事? 安全性が大事? 日本経済を考えると仕方ない? この辺のことは12.の社会的背景に記述します。
6)畜産物
畜産物ではBSEや鳥インフルエンザ、ブタウィルスなどで周知かもしれませんが、根本は人間が、日本人が「肉・卵の食べすぎ」に問題があるということに尽きると思います。
畜産の現場では、抗生物質、ホルモン剤、動物性飼料(エサ)、遺伝子組換えされたエサなどを過密状態の不衛生でストレスのたまる状況で飼育されています。この主眼は、安く、早く(飼育期間を短く)、育てるということから始まったように思えます。
そして、結局膨大な畜産廃棄物(糞尿ふくめ)が排出され環境にも多大な影響を与えます。 私たちが、肉を食べるということは必ずどこかで飼育されているわけで、かならず糞尿もでるわけです。その糞尿の処理で一番多いのは田畑への還元で、言葉はいいかもしれませんが、それで有機栽培といわれても土壌や、作物の汚染は避けられません。
そのような肉を食べたとき、知らず知らずに抗生物質などを私たちは摂取することになります。
一生涯肉を口にしなくても人間は元気に成長できます。戦後肉の需要が、GHQなどの努力と、日本の識者の努力(?)で拡大し、農業基本法の制定からさらに加速されていった背景があります。一番得したのはアメリカと・・・
そして、病は格段に増えました。この辺になると今度は食生活の欄に譲ります。
7)魚介類
魚にダイオキシンや化学物質が蓄積しているから食べない方がよい!っとされたことがありました。現在でも同じだと思います。
この問題がなくても魚を頻繁に食べることはあまりお勧めしませんが、上記の有害物質を避けるには・・・
まず、有害物質は脂肪分、内臓にたまりやすいということから、内臓系はなるべく避け、油分の少ない魚を選ぶのがコツだと思います。
養殖が盛んですが、養殖においても多用なホルムアルデヒドなどの薬剤、抗生物質入りエサを使用しますので、天然魚をお求めになることをお勧めいたします。格段においしいですし!。
8) 水
水の問題はとても大きな問題を含んでいますし、どこからお話ししたらよいか悩むところです。
2. 食生活
1)日本人の食性
日本人の食性というと ? と思われるかもしれません・・・
日本人は世界中の他の民族とは類のない食生活の習慣を持っていました。
一つ大きなことは「主食」の概念があることです。アメリカ、ヨーロッパでは主食の概念がありません。そして、その「主食」が日本では米だということです。動物的に言うと、穀食動物だということです。
牛が牛骨粉を食べて狂牛病があらわれました。人食い人種が人を食べてヤコブ病ができました。
そこまで行かなくても、牛は元々草食動物で穀物も食べませんでした。日本人は穀食動物でありながら、多量の肉を敗戦後から食べるようになりました。乳製品、油脂、砂糖もそうです・・・
数十倍に膨れ上がったものもあります。何千、何万年もかけて今の体と、日本という風土に合わせた体が出来上がったのに関わらず、わずか数十年で食生活、食性が変わりました。そこで出てきたのが老人病です。老人病といってもピンとこないかもしれませんが、
老人病→成人病→生活習慣病と名前が変わっていった病のことです。昔は老人に特異的であった高血圧、ガン、脳血管障害などが、だんだん低年齢化し生活習慣病という名になりました。これは、食生活の劇的な変化がもっとも禍していると私は考えます。
日本人は一般的に米、野菜、海そう、発酵食品、たまに魚を食べるという食生活でした。
そのなかで、食を楽しむために、そして、地域にあった体を作りあげていくために各地で食文化が発達し、そのなかで農の豊かさ、食の大切さ、家族の絆、地域の絆が気づかれていったものと思います。

核家族化、そして孤食(一人で食べる)化が進む中、そのような中にある、豊かさがなくなり、食はどんどん画一化され日本全国どこでも同じ味、同じ形のものが横行しています。
便利さと引き換えに失った代償はとても大きいと思います。
そして旧来の日本食は今ブームのダイエットにもうってつけですし、食生活の見直しと実践から多くの病を未病治できるはずです。
食べよう!お米!乾物!海草!発酵食品!
2) 旬
3) 人間の食性
形態的、生理的、系統的、人類の起源、地理的と分けて考えられます。

(1) 形態的に考える
人を含めてあらゆる生物は体を動かして食物を得ています。
そしてその中でいろいろな形態があります。
   あ) 足音を忍ばせることができる足の形態。
   い) 食いちぎるための平坦な前歯、門歯の発達
   う) するつぶすための平らな臼歯
   え) 大きな体、又集団行動、小型で俊敏、穴に逃げる、
      木の上に住み身を守るなどの形態にすぐれた体。
   か) 錘状の歯、犬歯
   き) 追跡の為の有利な太い足
   く) 倒すための太く強い前肢
   け) 逃がさないためのするどい爪

以上の中だけでも、肉食動物、草食動物の違いが出てきます。
人の場合、

   手指の自由○
   視力○(複雑な色、焦点をいち早くあわせられるなどすぐれています)
   視点の高さ○
   知能○
   複雑なコミュニケーション○
   鋭い爪×
   錘状の歯×
   平爪○
   武器になる犬歯×
   すりつぶす臼歯○
   嗅覚、聴覚×
   足の速さ×

簡単に以上のような特徴があります。
地球上の動物は、自分の捕獲できるもの以外のものは食しません。

人は道具を持って捕獲可能になりましたが、本来ではないのではないかとも思いえます。
以上のことから形態的には人は草食、穀食に向いているということはあきらかです!

(2) 機能的に考える
機能の部分では次のように分けてみたいと思います。
腕力、手指の自由、嗅覚、聴覚、足の速さ、視力、消化能力

   あ)手指の自由
     口と食べ物との間には、何か食べる時何らかが介します。
      (赤ちゃん以外)
     しかし、肉食動物では直接口に入ります。
     人の場合、手が介しています。
     そして、手紋、手の感覚の発達へと
     繋がっていったものと思われます。
   い)腕力
     食物のサイズ、重量を制限する一つのファクターと考えられます。
   う)足の速さ
     マラソンランナー時速20km 100mのトップランナー時速40km、
     他の動物と比べると圧倒的に遅いです。 
     他の動物を捕らえることはむつかしいでしょう。
     猫すらつかまえられないのですから・・・
   え)視力
     人は最も優れていると考えられます。
     遠方から近い方を見る調節能力、立体視、色彩力、視点の高さ
     も含めて とても優れています。
   お)消化能力
     消化酵素とくにでんぷんの分解能力は人が最も優れているといわれ、
     次いで草食動物、肉食動物にいたってはその能力は皆無だということ
     です。
     人は耳下腺、顎下腺などからアミラーゼ、プチアリンをはじめ多量の酵素
     を出し、咀嚼によって食べもの表面積を拡大させて消化しやすくしていま
     す。しかも胃、すい臓へと2重、3重の消化機能をもっています。牛などが
     反芻するのとは違います。

(3) 系統的・起源・地理
霊長類で最も進化したヒト ホモサピエンス、起源はオーストラリア、アフリカ、アジアなど熱帯、亜熱帯地方に限局されています。アメリカや、ヨーロッパではありません。 熱帯であれば、作物ができ、肉を食べる必要はほとんどないでしょう。 ヨーロッパで肉食、乳食が進んだのは、 寒さで作物が取れず、動物は、ヒトが食べることが出来ないセルロース(固い葉っぱなど)を食べることで飢えを防いできました。そしてその肉を人が飢えをしのぐために食べていた訳です。 この点でもヒトは、肉を食べないということがお分かりいただけるかと思います。

ヒトは、モンゴロイド、コーカソイド、ネグロイド、オーストライドに40〜50万年前に分化したといわれています。そして、世界中に分かれて行きました。日本人はモンゴロイドが起源です。この中で、食事を見ると、大きく分けて粒食、粉食に分けられます。お米などの粒を食べているか、小麦やトウモロコシなどを粉にして食べているかの違いです。これはとても大きな違いなのです。 もちろんモンゴロイド、日本人は粒食民族です。

しかし、ヨーロッパで産業革命が起こります。イギリス、フランスが世界の中心となり、ヨーロッパが世界標準になっていきます。そして、その中心はアメリカに移りつつ、第二次世界大戦の勝利でその中心は確固たるものへとなっていきます。そのような社会で食事をはじめ、生活様式、経済様式、家族のありかたなどが総てといっていいでしょう、アメリカ化(欧米化)さていきました。これは日本に限りません、世界中です。しかし日本はアメリカの属国化に最も成功した一つの国でしょう。

何十万年もかけて築きあげられてきた日本人の身体。それが戦後大きく変わります。
まだ戦後100年もったっていませんが、日本人はその食事に順応することが出来たのでしょうか? 
戦後から肉、油脂、乳製品、砂糖、果物などの消費量はめまぐるしく増加したのに、米、大豆、乾物、海草などの消費量は激減しています。
そうです前記したものは欧米の食べ物、後述のものは和食です。
そして、病気が増えています、医師がふえ、20万点も食材をそろえるデパートがあり、何不自由ないはずなのに、増えています。
精神病も物凄く増えています。自殺も物凄く増えています。

私は大きな意味で「食」が総てに関わっていると認識しています。

「食」から総てが変わります。いい方向にも、悪い方向にも。
食に関係する言葉、食卓、家族団欒、農業、水、食器、料理、野菜・・・間接的も、環境、農薬、地下水汚染、健康、心の豊かさ、感謝の心・・・すべて繋がっています。
総て繋がっているのです!
断片的に書いています。家族の団欒からお父さんが子に伝えること、たくさんあります。教育です。学校教育を云々する前に自分が子どもにしている教育を考えるべきです。
自分の子どもなのですから!

本来の食事を家族団らんで、楽しくいただく!これが自然食の基本です!。

(4) 理想の食生活
まとめになると思います

  簡単に言いますと、肉を今の1/10に、ご飯を今の3倍に、おかずも今の半分以下でいいです。砂糖も一切取らなくたって大丈夫です。蛋白質もとれます。全く問題ありません。
そして、海そうのヒジキや昆布、わかめを食べ、乾物の切干大根などを食べ、発酵食品を食べ・・・そうすれば食費はぐ〜んと安くなりますし、健康になれます。
いわゆる伝統食です。
自然食はぜんぜん高くありません。
(病気の方の食事法は少し変わってきます)
あと、「一物全体食」野菜にしても全体を食べることです。たとえば、大根も葉っぱも食べることでとても栄養が取れます。
「身土不二」土と身体は二つにあらず。地場の物を食べることで風土にあった体ができあがります。人間の体は総て口から入ったもののみで作られています。この範囲も現代としてどこまで範囲を広げるかという話になりますが、私は国内ということで考えています。
でも、南国のバナナも食べますし、パスタも食べます。健康であればあまり偏って考えるのも息が詰まりますので、ヨシとしたほうがいいようです。 「旬」大切にしていくことで、身体が変わっていきます!。
3. 環境への影響
1)地下水汚染
農地では農薬、化学肥料、多量の有機質肥料を散布します。今問題になっているのは、ブルーベービーで有名になった硝酸の汚染です。地下水は現在かなり汚染されていて、専門誌には度々掲載されておりますが、その対策は皆無といっていいのではないでしょうか。
このまま、現代の農業を続けていけば、永続可能ではありません
肥料を減らし、無肥料栽培に向かう方向、同じ田畑で外部からの資材投入をなくすことが大きな課題です。
2) 大気汚染
大気汚染では、オゾン層の破壊、二酸化炭素の増量による温暖化、農薬散布などによる大気の汚染・・・農業も大きくかかわっています。
農薬をまけば大気が汚染されます。南極の白熊の血中からもダイオキシンが検出される現代です。未来の子どもたちに、 このような汚染された地球を残すことは人類始まって以来のことです。日々の生活から、農から汚染を減らしていくことが大切です。
大企業が悪い、国が悪い、自治体が悪いなどといっている時ではありません。
私たち一人一人があたりまえに実践すべきことです!
3) 土壌汚染
「死米」という言葉を聞かれたことがありますでしょうか?
お米を収穫し、精米したところ、米が粉々に砕け、食べられないお米です。
数年前にある県でこのようなお米が出ました。その田んぼの土はぼろぼろだったということ。 農薬、化学肥料に頼り、土をひとつの生物体という認識をなくし、工業製品になってしまった農作物の成れの果てです・・・
土1gには1億の微生物がいるといわれています。一億ですよ!
このような微生物の相互関係が人間に分かるはずもなく、これ一点取っても人間のちっぽけさがよく分かります。
自然界はとても複雑、巧妙です。人間に分かるはずもありません。 医学ですら「医学栄えて病人増える」のが現状です。
土、大自然にもっと人間は謙虚になるべきです。 そうしないと、見えてこないものが沢山あると思います。
4. 社会的背景
1)大量生産大量消費社会
2)戦後農業の変遷
3)洋食への変遷
5. 自然食と栄養学
1) 人間、この未知なるもの
6. 生活環境問題
1) シックハウス症候群
2) 環境ホルモン
数百種類あるといわれる環境ホルモン物質のほんの一部分に過ぎず、しかも毒性で議論される事が多く環境ホルモンとして扱われる事は少ない。
環境ホルモンは生物にとって次世代を残していくために重要な問題である。食することにたいしての安全性も重要だが、環境にも影響している。日本で最初の発見は「いぼにし」貝で、オスがまったくいなくなってしまった事に始まる。
動物に現れても特に日本人は危機感を抱かないが(一時的で行動に移さない、情報の湾曲、与えられる情報のみでの生活なども影響)食物連鎖の頂点である人間にそれが現れ始めたときは何を意味するのか、それはそれ以下の生物は総て汚染されていると考えなくてはならない。
3) 電磁波
7. 雑貨
石けん
化粧品
その他
8. 世界から見た日本
人体実験
途上国
9. 将来への影響
1) 未来の子供たちに何を残せるのか、何をすべきか

総論:「大自然と人間」

ここであえて「自然」ではなく「大自然」と記すには訳があります。
「大」は 一切 とか 総て などの意味で 宇宙を取り巻くすべての現象を表しているものです。
人間はこの大自然の小さな小さな一部分に過ぎません。私達は常にそのことを認識して生活していくことから始まります。50年前にはそれがまだありました。例えば「おてんと様」に感謝し、「土」に感謝していた。現在それらは経済の名のもとに失われています。おてんと様と相談しながら生活していれば、おのずと食もおてんと様と相談という事になり、農作物も限られてくる。しかし今は儲かる作物を儲かる時期に、見栄えをよくし、少しでも価格の高い商品を作り出そうということを第一に努力が払われている現状です。その結果、農薬や化学肥料、添加物などを使用する農業が主体になって商品となった作物。これも一つの例にしか過ぎませんが、この原理が拡大し現在の大量生産、大量消費社会が構築されていることを、忘れてはいけません。消費社会、消費する事で経済が回る。今日言う経済発展とは基本的には物が売れる事です。しかしそれらの「物」は一つとして地球の資源に依存しないものはありません。地球の資源を人間が勝手に利用し、価格をつけているだけです。では資源がなくなったらどうする?この疑問に現在の経済学、資本主義は答えてない。(もちろん社会主義、共産主義も)ただ一つ言えることは環境破壊で人間が住めない地球環境になったとしても、この大自然は悠々と残るものであると言う事です。
人間の進歩はいかにして自然を征服するかという考えのもとに進歩し文明を築いてきたもので、古くは電気の発見により夜の活動を可能にしたり、車によって遠方に誰でも手軽に移動できるようになったり、大量の安い農作物を得るため農薬や化学肥料を発明したり、最近では諫早の干拓などなど総てがこの自然に反する、いわゆる一方的でエントロピーを強力に増大させる非永続的なものでしかありませんでした。 (科学の進歩(?)を全て否定するものではなく、現在自然と共存できている部分が少なすぎる、と言う意味です)
私達人間は大自然の小さな小さな一部です。我々一人一人はこの大自然の中でしか生活し得ないことを認識することによって、人を主とするのではなく、大自然、自然を主とする生活をたてることが、今後の世代のためにも残された使命であるのではないでしょうか。今まで私達が死に物狂いで努力し、構築し、富を得て、社会を形成してきた、消費社会を自らが否定し、新しい社会を形成していかなければ、と思うのです。重ねて言いますが我々は自然の上に生活しているのではなく、大自然の中に抱かれて生活している(生活させてもらっている)のです。
自然を規範とし、自然に順応して、自然を尊重する。私の好きな言葉です。
   そしてサン・スマイルの活動の基本理念です。